経歴
1954年11月 |
大阪市大淀区(現北区)に生まれる |
1973年3月 |
大阪府立千里高校卒業 |
1977年3月 |
関西大学文学部教育学科卒業 |
1980年3月 |
関西鍼灸柔整専門学校卒業 |
1981年1月から1年半 |
和田鍼灸大学堂にて弟子生活 |
1989年4月 |
東洋はり医学会入会 |
1989年4月から1年 |
宮脇鍼灸院にて助手生活 |
1993年4月 |
漢方鍼医会入会 |
2008年4月 |
大阪漢方鍼医会入会 |
2013年4月から4年 |
大阪漢方鍼医会代表 |
2018年9月 |
大阪漢方鍼医会退会 |
当院のあゆみ
1983年1月開業 |
当初は往診専門 |
1985年9月 |
自宅開業 |
2020年9月 |
現在地に移転開業 |
取得資格
1979年5月 |
あん摩マッサージ指圧師 |
1980年4月 |
はり師、きゅう師 |
2008年11月 |
リコネクティブ・ヒーリング レベルⅠ・Ⅱ |
2009年4月 |
リコネクション レベルⅢ |
鍼灸師になった理由
「心理学」を勉強しようと大学に入学したが、同じ学科内の「教育学」が面白くなり、「世直しは教育から!」と、教育学専攻に軌道修正。被害者本人として高校時代から関わっていた「森永ヒ素ミルク中毒被害者の会」の活動に繋がる職業を考えていたところ、卒業直前になって「鍼灸師になろう!」という“ひらめき”がやってきた。それから初めて鍼灸治療を受け、資格の取り方を調べた。当時は鍼灸治療が今ほど一般的ではなく、友人知人の「そんな魔術みたいなん」という反対の声や、「面白そうやん」という賛成の声を聞きながら、大学卒業後すぐに鍼灸専門学校に入学。後には「先見の明が有った!」と感心される事に。考え方の違いで「被害者の会」からは離れたが、その活動をきっかけにやってきた”ひらめき"は、今でも「天啓」だったと感謝している。